『大衆文化』とは何か

原点としての大衆文化

ポプカルを普及させることで日本人の創造性溢れる魅力を世界に広めて、その素晴らしさを理解してもらおうという建前は分かった。それは良い、文化が広まって寛容的に日本のことをよく思っていなかった人たちが心よく思ってくれればそれに越したことはありません。そのためにも利用できる物は何でも利用するべきだというのも分かるのですが、果たしてそれで日本という国の良さが伝達するのかどうかは、やはり疑問しか残らない。

最近は何かと量産されているアニメなどを見ても、イマイチピンと来ないと感じるのも事実。そもそも、日本人は毎度似たり寄ったりな作品を作ってばかりで、本当にこれがクリエイティブで、クールな日本を連想させるものなのか、という偏見もどこかであるでしょう。クールジャパン戦略なるものも含めて考察すると、どうにも日本の迷走感に拍車が掛かっているようにも見えなくないのだが、気のせいなのだろうか。

そもそも大衆文化なるものの原点は、一般的な人々が楽しめなかったことを考えると現代では随分と敷居が低くなったという印象だけが大きく感じられます。かつてあったはずの文化に対するイメージ、現在までに根底から揺るがされたという状況が現在も続いていると言えるのかもしれません。

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起源は

先程も軽く話しましたが、大衆文化とは20世紀から登場した新たな文化に対する価値観となっています。厳密に言わなくても分かるように、大衆文化と呼ばれるものが登場し始めてからまだ1世紀ほどの時間しか経過していなかったりする。

元は『ハイカルチャー』と呼ばれる、文学や美術といったまさに芸術を愛でるモノとして愛好されていた。しかし当時それが出来たのは今で言うところの富裕層くらいで、中流から下流に至る人々は今の生活を維持するだけでやっとという状況下で、学問を学ばせる余力はどこにも残されていません。理解して楽しむためにはそれらに精通していないと良さは見えてこないものだ、ただ眺めているだけでは本質的な良さも、その素晴らしさもまるで理解できないため、理解するための勉学が必要になってきます。

文字を読むための勉強、絵画などの芸術を行うのに必要な教養、それらを重ね合わせてやっと文化的な営みをしようとなれた。ただこれでは誰もが楽しめない、勉強をしていないと楽しめないでは文化を楽しむ事はおろか、その素晴らしさを伝えることも困難な事になってしまいます。

分岐点となったのは

文化を楽しむ、という考えを持つようになったことで大衆文化は生まれたといえる。それはやがて大衆社会というあり方が完成されていったことからも窺い知れるはずだ。大衆社会は後にファシズムなどを生み出し、世界大戦を引き起こした因果的な歴史の闇たる部分に属するものであるものの、すべての人が共通の目的をともにする喜びとは、どれほど素晴らしいものかという共感を教えてくれた側面もあります。それが引いては民主主義にも繋がっていき、やがてそれらが文化的な行動やふれあいにも影響を及ぼし、人々に自国の素晴らしさをより深く理解してもらおうとなっていったのかもしれません。

なるべくしてなったもの、というのでしょうか。いずれにしても現代になればなるほどポプカルとの融和性による推進は国家戦略の要として機能するまでに発達した。

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今では日本においても

ポプカルなるものが話題を集めるようになったことで現代のあり方、しいてはこれからの時代で必要とされるとまでみられるようになっていった文化を知ってもらいたいという思いも強くなった。国家が運営するイベントだけでなく、今では町おこし的な催し物でさえポプカルが導入される始末。もはや濫用とさえ言ってしまっても可笑しくないこの状況には、正直苦笑したくなる部分でもある。

今やポプカルを導入するのがどこもかしこも行うのが当たり前になっていき、何が正しい大衆文化なのかも理解に苦しむ部分さえ出てきているくらいだ。しまいにはオリジナルの萌えやゆるを全面的に押し出してしまおうという試みさえ出ている。成功した例はいくつかありますが、国を代表するものになったかどうかと言う点で考えると、些か足りていない部分でもある。

根本的な部分は

ただポプカルを楽しもうと思っても、結局のところ金銭的な負担を強いられる。それはかつてハイカルチャーと呼ばれた芸術を楽しんでいた時代から続いている、常識となっている。文化を知るためにはどうしても足がかりとして、触れ合える手段が必要になってしまう。それがお金というのだから、底は変革される何処から益々金にモノ言わせなければ楽しめない時代なのではと思うこともない。